2020年4月10日金曜日

真心陰流と無住心剣術と燕飛 第ニ回 真心陰流のエンピ



2回 真心陰流のエンピ

 次に、真心陰流の各分派について、目録の最初の部分を比較してみます。なお、目録の最初の部分はかなり共通しているのですが、後半は系統によってかなり違いがあります。そのため、原型を残しているであろう、最初の部分を見てみる事にします。

 比較してみたのは前回の伝系図の以下、下線赤字の人物が発給したものです。

真心陰流系図

小笠原源信長治(真新陰流?真心陰流?)
小笠原玄信義晴(真之心陰流)
│└合馬市兵衛義重相馬中村藩
針ヶ谷夕雲(真心陰流、無住心剣術)
││└高田能種(神之信影流、加賀藩
││ └山森武太夫俊清
││  └山森武太夫近陳
│└片岡伊兵衛(真心陰流、黒田家
│ └中村権内(真心陰流)
│  └加藤田新作(真神陰流)
│   └加藤田平八
│    └加藤田新八
│     └加藤田平八郎
神谷傳心斎(直心流)
高橋重治(直心正統流)
└山田一風斎(直心正統流)
長沼国郷(直心影流)

 系統としては、小笠原義晴系・針ヶ谷系・神谷系の三系統と言えます。

 小笠原義晴の目録、中村藩の真心陰流(真陰流とも)、加藤田神陰流、直心正統流(直心影流)三派について、最初の部分(一刀両断等)を比較して見ました。今回例に出した流派はどれも良く似ています。もちろん、この先の目録は各流派でかなり異なっています。

小笠原義晴系

1、真之心陰流兵法目録

真之心陰兵法目録 
                          
一圓相 不行不帰不留

 圓飛
  参學
一 一刀両断
一 右轉左轉
一 長短一味
 五輪擱
一  和ト
一  秘勝
一  八重垣
一  按車
一  五関一劔
 丸橋
 天狗集
(以下略)

小笠原玄信義晴より小林市郎右衛門 寛文十年(小田原市立図書館藤田西湖文庫)

1、剣術真之心陰流兵法目録

  真之心陰兵法目録
圓飛
 一刀両断
 右転左転
 長短一味
  五輪捔
和卜 秘勝 八重垣
五関一剣
 天狗所 並 丸橋
(後略)

相馬中村藩 剣術真之心陰流目録(中村藩伝 合馬市兵衛義重 写し)

針ヶ谷系

1、神信影流目録

 鹿嶋大明神
  神信影流

一 遠備
一 一刀
一 右切左切
一 長短一身

 九加
一 逆風
一 和卜
一 多方切
一 當蓮
一 必勝
一 水砂輪
一 捻入
一 剣割
一 悉定

 天狗書
(後略)

山森武太夫より河野左太夫「鹿島大明神神信影流目録」寛保3年、金沢市立近世資料館河野文庫

遠備は印可巻である「エンヒハソウの事」で
エンヒノエンノ字ハエンドンカイ(円頓戒)ノエン字ニテエンマンニソナエルトイウ事ナリ 
「エンヒの字は円頓戒のエン字にて円満に備えるという事なり」とあるので、元々は真之心陰流と同じく円の字を使っていたと思われます。また、目録には丸橋がありませんが、印可巻では丸橋の稽古方法について解説があります。

2、神陰流(真神陰流)

 神陰流剱術目録

夫剱術者神儒仏為
(中略)
 表之術太刀合
一 八相剣
一 一刀両断剣
一  誓眼剣
一 長短一味剣

 二刀合
(後略)


神陰流剣術目録(加藤田神陰流、加藤田平八郎より原善蔵 慶応四年 著者蔵)

神谷系

1、直心流

  神谷傳心六十七歳ニテ一流見出シ
  直心流ト極致傳授ニ付改兵法根元
(中略)
一 表四組ト極過去現在未来三ツ之躰
八相 一當 重端一身 右天 左天
   頭端無相打
(後略)

『直心流神谷伝心斎改兵法根元書附』(秋元大輔氏蔵) 中村民雄,剣道事典より。



※ほかと並びが違いますが、これは写しなので元々どういう形式だったか不明です。無相打など、神信影流のエンヒハソウの事に書かれている事や、無住心剣とも関係がありそうです。(無住心剣についての回で言及予定です)

 また、神信影流でも表の四本は過去現在未来の三つの技とされているところが共通しています。(神信影流では初本が過去、二本目は現在、三本目・四本目は未来の技とされています。)

2、直心正統流

  直心正統流兵法目録次第

 八相 発
     
 一刀両断
 右転左転 旋トモ
 長短一味
 圓連 刀連
 体連
右口伝
(後略

高橋弾正左衛門より山田平左衛門へ 延宝7年(1679
中村民雄「幕末関東剣術流派伝播形態の研究(2)」より

3、直心影流

  直心影流兵法目録次第

 八相 発
     
 一刀両断
 右転左転 旋トモ
 長短一味
 龍尾 左右
 面影 左右
 鉄破 進退
 松風 左右
 早舩 左右
 曲尺
 圓連 刀連
 体連
右口伝
(後略)

長沼四郎左衛門より河崎平蔵へ 享保12年(1727
中村民雄「幕末関東剣術流派伝播形態の研究(2)」より

目録内容について

上記を比較すると、一本目が

  1. 円飛(遠備)
  2. 八相(八相剣)

となっているもの二系統がありますが、それ以下は一刀両断(一刀)・右転左転・長短一味の三本と共通しています。

それから先は小笠原義晴系は五輪カク・天狗ショという並びが共通しています。ただし、ほかの系統はかなり違いがあります。(神信影流はクカ・天狗書と新陰流に近い名称となっています)
不思議なのが同じ針ヶ谷系の加藤田神陰流の一本目は「八相剣」、神信影流では「遠備(エンヒ)」と名称が違っている点です。

次の図は真心陰流系図の抜粋と一本目の名称です。



 小笠原義晴系の真之心陰流では、八相に対応する一本目は圓飛という名称です。相馬中村藩の剣術真之心陰流目録や真陰流太刀極意得心巻1によると、円飛はつかい身(仕太刀のことか)が八相、打太刀は車に構えるとあります。

次に針ヶ谷夕雲系の一本目についての使い方です。加藤田神陰流の構えや形はわかりませんが、加賀藩の神信影流については簡単な解説が残っています。金沢市立近世史料館河野文庫、「神之信影流印可状 エンヒハソウノ勝ノ事」に神信影流の形について簡単な解説があり、また天保年間に山森近林より発給された同伝書の翻刻※2が武徳誌に翻刻されています。

それによると、
「構は左身にして太刀を立て持なり、右手のこぶし右乳の上に付程に左手のこぶし左の乳の上に付程に持」
「打太刀は捨の構にして仕太刀のみけんにかけて打なり」
とあり、仕太刀が八相のような構え、打太刀が捨、と直心影流と同じになっています。

次に、現在も伝承されている直心影流の八相発破では、仕太刀は上段から八相、打太刀は捨から上段、と構えています。直心影流の元になった直心正統流では
「仕太刀八相ニ備エル」
とあります

つまり、小笠原義晴・針ヶ谷・神谷の三系統で仕太刀の構えが八相という名称がつかわれています。(打太刀もおそらく共通していてシャ(車・捨))

 ここからは私の推論ですが、古流の形は正式名称以外に通称がある場合があります。圓飛(圓備)が小笠原長治の時代の正式名称で、その構えからこの形を八相と呼称してたのではないか、と思います。

 直心影流にエンピがないのが不思議でしたが、おそらく八相(発破)がエンピ(円飛・燕飛)であろう、というのが今の結論です。また、針ヶ谷夕雲の片手八相からの相討ちというのも、おそらく八相(圓飛)の技がその元になっていると思われます。(次回はこれら技法についてわかる範囲の資料から考えてみます)

1「物部列重写 真陰流許口伝書」日本体育大学 民和文庫
加藤豊明「加賀藩資料より「剣法夕雲先生相伝之書」と「神之信影流印可之書」一冊,武徳93,昭和50年(1975
軽米克尊「直心影流の研究」p158 法定の動作による太刀筋の記述 より

第三回はこちら

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