2025年1月11日土曜日

新当流(神道流)は念阿弥慈恩の一派である①

 昭和の頃から「日本剣道の三大源流」として神道流、新陰流、中條流が挙げられています※1。中條流のかわりに念流が入る例も見られましたが、現在では「兵法三大源流」として念流、神道流、陰流が挙げられているようです※2。

 この中の神道流は江戸初期以前は新當流と書き、香取の飯篠長威家直を開祖とする流派です。現在でも飯篠家に伝わった流派が天真正伝香取神道流として現存しており、広く世界的に修行者がいる有名流派です。
 香取神道流のWEBサイトによれば飯篠長威は
流祖の飯篠長威斎家直は、六十余歳にして香取大神に壱千日の大願をたて斎戒沐浴、兵法に励み百錬千鍛を重ね粉骨修業の後、香取大神より神書一巻を授けられ、天真正伝香取神道流を創始したと伝わる。(流派についてより引用)
としています。
 しかし、新當流各派の戦国期の伝書を中心に見ていくと、
飯篠長威入道が修行したのは念阿弥慈恩の流派(中古之念流)である
とはっきり書いてある例が複数見られます。また、長威入道は中古之念流の内容を批判し、新規を打ち立てて新當流を創始した事が書かれています。そして、その序文は上泉信綱の燕飛の序に大きな影響を与えているように見えます。
 以下、伝書および兵法の目録や内容も含めて検討をおこなったものです。

新當流の創始と伝系について

 以下は安土桃山時代までの、新當流の相伝系図の抜粋です。現存する伝書の相伝系図を参考にしているので、誰から学んだか不明である人(上泉信綱)などは入っていませんし、卜伝など多数の門人がいる場合は大幅にカットしています。




 開祖長威には複数の弟子がおり、弟子の代で既に各地に広まっていきました。

 飯篠家からは自顕流、一羽流(師岡一波は卜伝の弟子とされることが多いようですが、相伝系図では飯篠盛近の弟子、柏原河内守の系統です)、宝蔵院流、穴沢流などが現れています。

 塚原卜伝は養父土佐守、義兄の新左衛門と相伝系図を引いています。卜伝は知られている通り数多くの弟子がいたため、図にある新當流松岡派、鹿島新當流、本間流以外にも数多くの流派の元となっています。

 松本備前守は飯篠長威の後、もっとも有力な新當流の師範であったらしく、図以外にも多くの弟子がいました。有馬大和守の系統は徳川家康も学び紀州の有馬流(竹森流)へと繋がります。その他にも松代藩の新當流槍術はこの系統です。小神野越前守は松本備前守の最高弟だったようです。多くの弟子が居ましたが、桜井大隅守、古宇田越前守(小神野の婿)などの系統が広まっています。神道夢想流杖術もこの系統です。

飯篠長威の新當流創始

 開祖飯篠長威は辞典などでは

「香取神宮や常陸(茨城県)の鹿島神宮につたわる武芸から,天真正伝新当(神道)流を創始。松本政信,塚原安幹らをそだて,近世武術の源流となる。※3」

とされています。学んだ流派については言及されていません。

 松本備前守系、門井主悦系および香取修理佐の香取流には手継序という伝書が伝承されていますが、この内容はほぼ共通しています。手継序では新當流の創流について、上古流、中古之念流の名前を挙げ、飯篠長威が中古之念流を学んだとしています。松岡家の伝書では上古流は義経以前の流派、中古之念流は奥山之念阿弥の流派とされています。

 手継序では上古流、中古念流は待のみ(待具足)であるので、飯篠長威が

懸待表裏二種之根源を以て改め新當流を始む

とされています。つまり、新當流は上古流や中古之念流、特に念流が元となっているとされていたのです。

 また、念流との関係では、飯篠盛繁の新當流兵法書(今村嘉雄ほか編(1982)「日本武道大系第3巻」)でも

若狭邦住人飯篠長威奥山自恩兵法秘術伝

と飯篠長威の流派が念流であったとしており、島津家文書の摩利支天大根本巻(天正23年)※4では、飯篠長威は奥山之念阿弥の京六人、関東八人の弟子のうち、関東八人の末とされています。

 手継序では上古流と中古之念流について、

上古流中古之念流是亦不可廃従浅入深雖厚薄窄甚攫雲掴霧巷又愚眼所及也雖然彼両流待具足而元勇以去剣刻舷迯莬守株元活法然懸具足手留得不可勝計此勝知千人英万人傑也

おおよそ読み下すと、

「上古流、中古の念流はまた廃するべからず。浅くより深くに入ることは厚薄をすぼむと雖も、甚だ雲を攫い霧を掴むごとし。また愚眼の及ぶる所なり。彼の両流は待具足にして勇無くして、剣を去って舷を刻み、株を守りて兎を待つに似て活法無し。然れども懸具足手留の徳をあげて計うべからず。」

というようなところでしょうか。ここでは上古流や中古の念流は廃するべからずとしています。(ただし、新當流の懸具足より劣っている事を強調しています)

 実際、桜井家文書「新當流手裏剱口傳」※5には

次師之方別可有引出物仍彼手傳授之前先念流高上之隠顕石龕之手可渡其已後新當流初條七ヶ條懸具足相渡後手裡剣秘術可見許者也

とあります。つまり、念流の高上の技を伝授してから、新當流の初條七ヶ条懸具足を伝授するという事です。この七ヶ条懸具足がどのようなものか不明ですが、新當流で七ヶ条と言えば引、車、払、違、薙、縛、乱の七字の七条之太刀かもしれません。

(次回、新當流兵法の目録と念流に続きます)


※1 東京教育大学体育学部教官 編(1950)「体育大辞典」不昧堂
※2 wikipedia「兵法三大源流」2015.1.10確認
※3 デジタル版 日本人名大辞典+Plus
※4 澤永存「摩利支天大根本巻」天正23年、義辰あて(島津家文書)
※5 大垣市立図書館蔵桜井家文書

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