2023年4月12日水曜日

続・柳生新陰流兵法 修猷館WEBサイトの件

 注:4/6にWEBサイトのいくつかのページが更新されているのに気が付き、内容を読んでおりました。その後も文章の改定があるようなので、最終的に4/10段階の記述に対して以下の文章は書かせていただいております。

こちらのページで新たな記述が加わっておりました。

4月10日現在、当方の記事へのリンクも直接の名指しも見当たらないことから、法的処置等の警告文以外は不特定多数宛であると思いますので、こちらもブログで主張させていただきます。

前回の記事に対する直接の反論や指摘は無い(少ない?)ようなので、追加部分について下記の三点のみの記述になります。


  1. 修猷館WEBサイトで新たに記載された、流派の体系等について考え方
  2. 正統性についての考えおよび誹謗中傷を繰り返しているという主張について
  3. 新陰流と新影流について



1.修猷館WEBサイトで新たに記載された、流派の体系等について考え方

こちらの文章で当初の有地・三宅の古文書と修猷館柳生新陰流の体系等の違いに関する疑問等はほぼ解消いたしました。つまり、有地・三宅の松右衛門の古伝の体系と、それ以降の代々の師範の研鑽によって尾張柳生などの影響もありWEBサイトで掲示されていた体系になった、という事と理解いたしました。

前回の記事で書いたように、当方の考え方としては

・流派の体系は変化するもの。

・流派の体系の変化したとして、修行者や師範の正統性へは関係しない。

と考えています。


ある流派の体系が江戸時代と違っていたとして、代々の師弟関係が捏造でなく、代々伝承されてきたとすればそれは正統な流派でしょう。

ですから、修猷館新陰流が代々伝承されてきているとのことであれば、江戸時代や戦国時代と体系が違っていても、正統であると考えます。

昨今は流派の変化を否定する、特に明治維新以降の変化は否定し開祖の頃に戻ることを理想とする古伝原理主義を見かけます。ですが修猷館様は変化も伝統を重視されているので、それらとは違うことは理解しております。

ですので、前回の記事で引用した修猷館さまのWEBサイトの以下の文章、

「伝統芸能につきましては、その時代に生きた訳ではありませんから、流祖の頃と寸分も技が変わっていないとは全く思いませんし、変遷は少なからずどの流儀や会派であれあるものです。ただ、どの会派であれ、印可の有無に関わらず、流祖伝来の流儀を誤伝が出来るだけ少ない状態で、次の世代に繋げていけるよう、そうありたいと努力されているものですから、その点を理解して頂けたらと思います。」(引用:柳生家目録

この部分に私も完全に同意いたします。また、最初のWEBサイトで書かれていた、

「※尚、当会は、黒田藩新陰流師範家(有地家・三宅家)が歴代発行してきた正伝の伝書巻物内容に準じ、古式の新陰流を墨守しております。」(※現在は削除)

という文章については取り下げられたのは、おそらく古伝原理主義者や、多くの柳生系新陰流の研究者からの批判や誤解、懐疑の目を事前に防ぐためと理解しております。

今回私が文献調査の過程で感じた疑問程度のことは、おそらく柳生松右衛門系の史料を調査すれば誰でも思う程度の事です。実際、新陰流を調査されている方はかなりいらっしゃるので、遠からず松右衛門系のみならず、各派柳生流の古文書や流儀の研究結果は出てくるのではないかと思います。

その際、私と同じような疑問をいだく方は多いと思いますので、事前に説明されるのは賢明な事と思います。もし、私が記事を書く前にこちらの文章を見ていれば特に疑問も抱かなかったのでは、と感じております。


2.正統性についての考えおよび誹謗中傷を繰り返しているという主張について

「誤った情報を故意にTwitterなどで流して、誹謗中傷に邁進している会派があったり、」(引用:ご挨拶

上記のように書かれていますが、これは当方のブログ記事等と受け取らせていただきますが、非常に心外です。(ただ、最初に書いたとおり、この部分は当方への訴えではなく、WEBサイト閲覧者あてに書かれているのだと認識しております)

公式サイトで公開されている記述に対して疑問を持ち、調べる程度の事しかしておりません。実際、WEBサイトの記述が変わったので、最初の記事については適当ではなくなったため。すでに取り下げております。


3.新陰流と新影流について

こちらもすでに取り下げた記事の内容になりますが、修猷館WEBサイトの記述はやや焦点がずれた反論になっておりますので、少し説明と意見を書かせていただきます。

ご挨拶」のページの記載は要約すると、

  • 柳生松右衛門が伝授された免状は「新陰流」表記なので修猷館は「新陰流」表記を使っている。
  • 無免許で活動している肥後新陰流の方が「陰」と「影」の字をもって正統性が無い、伝統に反すると心無い誹謗中傷を繰り返している
  • 新當流・神刀流・神道流などからわかるとおり、さまざまな字を使う歴史や伝統がある。上泉の印可にも影や陰がある。
  • 字の違いを根拠に、他の会派の伝統愛や正統性を安易に否定するような事は許されない。

というような内容です。

さきほど記載したように、当初の記事(取り下げ済)では旧ページに

「※尚、当会は、黒田藩新陰流師範家(有地家・三宅家)が歴代発行してきた正伝の伝書巻物内容に準じ、古式の新陰流を墨守しております。」

と書かれていたために有地や三宅の伝書と比較検証したものです。

実際、私が見た範囲(目録等四十巻程度、冊子の伝書七冊程度)の柳生松右衛門系シンカゲ流では、九割以上は「影」の字を使っており、特に目録や免状では全て影の字を使っております。

また、現在故蒲池師範の後を継がれた方々も影の字を使われています。そうすると黒田藩や有地系シンカゲ流では原則的に書面上は影の字が使われていたと解するのが妥当と考えます。

ただ、上記の記述はあくまで、修猷館様の

「※尚、当会は、黒田藩新陰流師範家(有地家・三宅家)が歴代発行してきた正伝の伝書巻物内容に準じ、古式の新陰流を墨守しております。」

に基づいた検証です。「柳生家目録」のページで書かれている、

「伝統芸能につきましては、その時代に生きた訳ではありませんから、流祖の頃と寸分も技が変わっていないとは全く思いませんし、変遷は少なからずどの流儀や会派であれあるものです。」

という言葉と、「ご挨拶」のページにある

「柳生家信の印可状に記されている『新陰流兵法』という伝統的な呼称を古くから重んじており、先代から受け継いだ流儀名」

というお言葉で、どこかの時点で文章上の表記を石舟斎の時点の「新陰流」に復古変更されたのだと理解できました。

上記のように、修猷館さまがどこかの時点で新陰流に復古変更されたという事と、私が主張している有地・三宅の両家で原則的に影の字が使われていたという文献上の事実は矛盾しませんし。また、これを誹謗中傷であると主張される事は全く理解できません。



0 件のコメント:

コメントを投稿

武芸流派大事典の新陰流系図についての検証

綿谷雪・山田忠史 編「増補大改訂 武芸流派大事典」は出版から数十年経た現在でも伝統武術について調べる場合の必須の資料です。時代を考えるとすさまじい仕事です。 ですが、昔から知られている通り、間違いが多い事でも知られますし、独自の記述についても出典が書かれていないので検討しようが無...